自分史を書こう

トップバナー

自分史を書こう

まず小説や散文を書く時に一番簡単に書けるのが自分史だろう。
その一例として私を書く事にする。

前項でも記したように私は1954(昭和29)年の午年生まれである。その午年の家系は祖母に始まる。
母は祖母が48歳の時に9番目の子として1930(昭和5)年に生を享けた。したがって祖母は1882(明治15)年生まれの午年。
そして私の妻は1966(昭和41)年の午年、長女と次女は1990(平成2)年午年の双子。こうしてみるとそれぞれの年代に分かれている事に気付く、明治時代、昭和一桁世代、戦後団塊の世代の末期の私と昭和40年代生まれの妻、娘にいたっては平成生まれ。一回りといえばそれまでだが昭和20年代の私と40年代の妻では大きな差がある。

よく引き合いに出すのだが昭和20年代初頭には戦争をしていた。しかし、40年代には東京オリンピックも終わり高度成長期。
つまり妻は「東京オリンピックを知らない世代という事になる。私は当時10歳しかも目黒区で生れ育ったという事で「東洋の魔女」と呼ばれ駒沢オリンピック公園でバレーボールの決勝戦も学校からの社会科見学でこの目でしっかりと見ている。

ココでひとつ問題が生じた1966年といえば「丙午(ひのえうま)」の歳にあたり、昔から「丙午の女は男を食い殺す」という迷信があり忌み嫌われた。
その「男を食い殺す」という気の強い女を御していくには寛容で午年の性格をよく知った一回り上の亭主がいいのかもしれない。その点では勇猛果敢に妻を生んでくれた岳父・岳母に敬意を表したい。
これで我が家はすべての世代で「午」が揃った事になるのだから。しかし、家族全員が午年、しかも午年しかいないというのは非常に珍しい事ではないだろうか?間もなく次も午年がやってくる。

彼氏がいるやらいないのやら、今から娘たちには「籍なんかはどうでもいい午年に出産しろ」と暗黙のプレッシャーをかけてはいるが万が一「巳年」に生まれてしまったどうしよう?
2人いるから良いか?妻は妻で「娘たちが無理でも私が48歳で男児を出産しても午年しかいない家系は守られる訳でしょ。お婆ちゃまが48歳でお母様を出産した訳だから私にもできないはずがないと意気軒昂。
それよりも亭主の体力の問題よね。もうすぐ「還暦でしょ」とのたまう。
例えば私と妻みたいに我侭な娘たちを御していくには亭主も一回り上の午年が望ましいのかな?こうなったら私がもう一度頑張って妻に午年の男児を出産してもらうしかない。

趣味を活かせ
copyright(C)編集・校正エキスパート